*しがない主婦のつぶやき*

主にシャワー中に思ったことを呟きます

教師に向く人

教師に向く人。

 

それは、ものすごーく多角的に物事を見れる人なんじゃないかと思う。

 

授業中フラフラ立ち歩く。

座るよう注意したり強制するのではなく。

なんでだろうな?

椅子の固さが嫌なのかな。

チョークの音がうるさくて、いてもたってもいられないのかな。

歩いていないと考えがまとまらないのかな。

 

などなど。

 

「困った子」はこちら側が思いもよらないことで困っていることも多い。

 

ただ注意する、怒る…

みんな同じ方向に向いていないと嫌な人は、教師に向かないと思う。

 

あらゆる考え方に興味を持ち、あれかなこれかなと多角的に見ることのできる。

多角的すぎて「球」になるように。

そんな丸い人間が教師に向いていると思う。

そんな人になりたい。

ともだち

私は人付き合いはあまりよくない方。

 

ひとりの時間が好きだし、それがないと息が詰まっちゃうタイプ。

 

でも友だちが悩んでるときは力になりたくて色々言葉をかけてしまう。

 

そういうのウザイかな?って思って、最近まで言いたいことの半分くらいしか伝えないようにしていた。

 

ふと、最近出会ったあたたかい人のことを思い出した。

 

彼女は私が発した一言にたくさんのリアクションをくれる。

 

それが嫌じゃないことに気づいた。

 

「お前のことを変えてやる」という気持ちで言ってくる人はウザイけど…

 

心からのあたたかい言葉だとウザくない。

 

あたたかい言葉ってわかるんだなぁ。

 

ひとの気持ちってわかるもんだなぁ。

 

ともだちってあたたかい言葉をかけてくれる、そういう人のことかもしれない。

 

変わらない音楽

音楽を感情の捌け口にしていないアーティストが好きだ。

 

スピッツのSONGSを観てそう思った。

 

10代の頃はむしろそういう音楽が好きだった。

端的に言えば、不幸なアーティストが好きだった(笑)

何故なら、自分も不幸だったから。

そういうのの方が共感できたのだ。たぶん。

 

30代になって、ある程度社会に揉まれ、子どもも生まれて、守るべきものが増えた。

すると、先述のようなアーティストがなんだか幼く感じるようになった。

 

40過ぎても音楽を感情の捌け口にしてメンヘラっているアーティストを見ると、「成長してないな」と感じるし、若いアーティストが音楽を感情の捌け口にしていると「若いなぁ」と思うようになった。

 

今は、一定して高いクオリティを保てる人、全力でおふざけができるアーティストがカッコイイと思う。

スピッツは昔からずっと94〜97年のサウンドを保っているし、どこか別れや死生観漂う草野マサムネさんの歌詞も変わらない。

全力でおふざけしているバンドも、おふざけということは演じているわけなので、本心は関係ない。

本心がどうであろうと、観客を楽しませるために全力でおふざけができるのはプロの仕事だ。

私の中ではベッド・インなんかがそれにあたる。聖飢魔IIゴールデンボンバーもそうかな。

 

そう、私はプロの仕事を欲している。

あるいは、ハイブランドのような一生高い価値を保つもの。

つまりは上質な音楽を求めている。

大人になって色々知って、高級志向になったのだろうか。

 

そういう点ではアニソンもそれかも。

アニソンは作品の世界観が基準にあるので、アーティストの感情の捌け口になりにくい。

自分の意思と関係なく全力で世界観に合わせる必要がある。

演奏レベルが高いものも多い。

なるほど、自分の好きな音楽はバラバラのような気もしていたが、つながった。

 

結婚したことも大きいかもしれない。

死ぬまでパートナーとの生活が続く。

一生ものの愛がそこにあるよう努める。

その大変さがわかるようになったから、変わらないものの強さを知ることになった。

 

変わらないものが好き。

変わらないものはさり気ない。

でも独りよがりでは決して手に入らない。

世界は日々変わっていく中でハイクオリティを保つ努力。

それは一時の激しい感情では叶えられないもの。

そういうものが今は美しいと感じる。

 

私流、スケジュール帳の使い方

スケジュール帳は専ら電子派でしたが、最近紙も併用するようになりました。

 

電子はtime tree。夫と共有したいスケジュールを書いています。

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今日は「パジャマを洗う日」

「掃除機、ウェットワイパーかけた」など、「これやったよ」と共有しておきたい家事も完了形で書いています。

 

そして紙。

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バーチカルに「やったこと」を書いています。

これをやるようになってから、良かったことが4つあります。

①スキマ時間を見つけるのが上手くなった

②無駄な時間が格段に減った

③計画立てて過ごすようになった

④何にどのくらい時間がかかるかわかるようになった

 

これらにより予定のある日や今後仕事を再開した日の過ごし方をイメージできるようになりました。

例えば、量にもよりますが、洗濯物干しに15〜30分かかります。

そして睡眠時間、私は10時間とってやっと体調万全になるようです😭

(新婚当初6時間睡眠で過ごして、吐き気で早退することが続きましたが、それもそのはずだと痛感しました。)

仕事を始めたらさすがに毎日10時間は厳しそうなので、8〜9時間は死守したい。

そうすると、21〜6時、または22〜7時ベッドにいるのが賢明のようだとわかります。

6〜7時に起きれば、洗濯物干し30分、朝食作って食べるで30分、スキンケアと身支度30分で1.5hくらいになるので、出勤に間に合いそうです。

 

「やったこと」を書くのはモチベーションもあがりますし、本当にオススメです!

以前よりもうんと一日を有効に使えていると思います。

 

もう少し書くスペースがほしいので、来年の手帳はほぼ日手帳にしました。

松本大洋さんのカバー注文しました。

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かわいいですよね〜!手元にくるのが楽しみ。

ものぐさな人ほど高いものを買った方がいい理由

いい物、少数。

そんな生活に憧れる。

素敵なお店や雑誌を見る度、物に溢れた部屋を見る度、切に思います。

 

いい物=高いもの

とまでは言いませんが…

高いもの=いい物である確率がとても高い

というのが経験則です。

 

最近ファンデーションと化粧水を変えました。

ファンデーションはちふれエスプリーク

化粧水は千円程度→4〜5千円のものに(コーセーの雪肌精やワンバイコーセーをお試し中)

私は今働いていないし、安いもので十分!高いものを買ってもアトピーで肌に合わなかったら嫌だし…なんて思ってたんです。

(実際ちふれのファンデはマキアージュのものに劣らないいい物だと思います)

 

高いとなぜいい物である確率が上がるかと言うと、作る過程でお金をかけているから。

それは研究費であったり、デザイン費であったり、広告費であったり。

個人的には広告費に重きを置いているところはあまり信用度が高くありません。

なぜならこのネット社会、いいものは口コミで売れると思うから。

 

化粧品なら研究費、洋服ならデザイン費をかけているところが信用できます。

なぜならそれらは、そこがキモだから。

 

コーセーさんは高いし、化粧水は大抵アルコールが入っているのに、私のアトピー肌にやさしいです。

むしろなんだか肌が強くなった気がするのです。

調べてみると、研究費にかなり充てているため、肌に合うと言う人が多いのだとか。

あと銀座のホステスさんでKOSEを使っている人は肌がきれいだった、というのも出てきました。

 

エスプリークのファンデーションも始めてつけた時は驚きました。

なんせ乾燥しない!夜お風呂で落としても肌が潤っている!疲れない!

でメーカーを見たらこちらもコーセー。

もはや今の私はコーセー信者です。

 

おっとっと、コーセーがとにかく良い!という話じゃなくて。

高いお金出して良かったなぁと思うのです。

 

それからお洋服。

どれもこれも2万円以上するお店は、縫製がしっかりしているし、着てしっくりくるシルエット。どの服をあてても一発で決まります。

 

あとは、ハイブランドのお店。

驚きました、革がきれい、形がきれい、縫製がきれい、とにかくきれい。

ひとつひとつ丁寧に作られているのがわかります。

 

丁寧に作られているものは長く持ちたくなるもの。

「高かったから」という理由も少しはありますが…

何よりも満足度が高いのです。

 

それに何度も買い物するのって面倒じゃありませんか?

流行り物はファストファッションでいいと思いますが、アラサー超えて流行を追いかけたいともあまり思わなくなったし。

好きな服のパターンも大体固まりました。

ネットで見て素敵だと思っても、安っぽい生地やフェイクレザーだと生で見てなんか違う、と思ったりもするし。

1回買って5〜7年はもたせたい。可能ならば10年以上。

それだけ持っていてもきれいを保てるのはやはり高いものが多いです。

いい物、少数。

厳選されたもので生活するのは、贅沢で気持ちがいいものだと感じます。

 

その前に…部屋に溢れた荷物を断捨離しなければですね😂

物を捨てるのってエネルギーがいるのです…

そういう話は、また今度書きましょうかね(笑)

 

他人の言い間違いを指摘するということ

うちの夫はよく私の言い間違いを正してきます。

間違いを正してくれるのでありがたいことなのですが、毎回毎回すごくイラッとするのです。

今日はなんでイラッとするのか考えてみました。

 

まずは言い方。

「今現像するスマホの写真選んでるんだ」

「『プリント』ね」

ムカッ😡

間髪入れず、間違いを強調し、無表情。

バカにしてるとしか思えません。←

「プリントのこと?」

「プリント、じゃないかな」

「うーん、プリント?笑」

など、もう少し柔らかく言ってくれたら、こちらも腹が立たず「あらっ間違いなのね…////」と素直に反省できるかもしれません。

 

次に、なんの説明もないこと。

「現像とプリントって何が違うの?」

と聞いても

「全然違う」とか「色々」としか返ってきません。

私が思うに、間違いを指摘しておいて何が間違っているか説明を省くのは不親切だし、無責任だと感じるのです。

それゆえイラッとくる。

 

この話をツイートしたところ

「お客さんが『現像して』と持ってきたので『プリントですか?』と聞いたところ、『現像!』と立腹気味に返ってきたので、現像だけして返したらクレームになった」

というリプライが来ました。

が、先に言った通り、相手が勘違いしていそうと勘づいているにも関わらず説明をしないのは不親切だと感じること。

また、わかっているのに言葉通りに「現像」だけするというのは、意地悪ではないかということ。

2点を感じたので、そう伝えました。

 

もちろん意味を間違って覚えていれば不利を被るのはこちら側です。

だから正してくれる人はありがたい存在。

けれども、やはりただ「正すだけ」というのは、お互いにとって良いことないんじゃないかなーと感じるのです。

楽器の練習に王道なし

また当たり前のことだけど。

 

小さい頃に習っていたピアノもだし、今やってるギターもそう。

弾けないところはドレミなり運指なりメモして、ゆっくり過ぎるほどゆっくり弾く。

弾けたらだんだん速くしていく。

それが一番の近道。

 

さぁー、がんばるぞー!